本稿は、ヒラマサ(Seriola lalandi)について、分子系統研究の知見、名称の文化史、ならびに筆者の実地経験を横断し、地域ごとに異なる3つの系統(南半球系・東太平洋系・北西太平洋系)として整理する仮説を提示するものである。 本整理は正式な分類学的再定義を意図するものではなく、地域差を理解するための思考モデルとしての有効性を検討することを目的とする。
また、本稿で用いる「ラランディ・オセアニカ」「ラランディ・パシフィカ」「ラランディ・ジャポニカ」という呼称は、 学術的な正式亜種名ではなく、地域系統を説明するための便宜的な表現である。
セリオラ属という「家系」
この広い地球の魚類の世界には多くの「家系」が存在し、ヒラマサは Seriola(セリオラ属)に属する一員である。 この属には、ヒラマサ、ブリ、カンパチ、ヒレナガカンパチといった、日本の釣り人にもなじみ深い魚が含まれ、 それぞれ学名では以下のように呼ばれている。
- ヒラマサ:Seriola lalandi
- ブリ:Seriola quinqueradiata
- カンパチ:Seriola dumerili
- ヒレナガカンパチ:Seriola rivoliana
すなわち、「セリオラ・ラランディ(Seriola lalandi)」が、ヒラマサの学術的な名称である。
日本における「平政」という名の成立
江戸時代の大阪魚市では、赤や朱色の魚は総じて「鯛(タイ)」と呼ばれていた。 やがて、その中でもとりわけ味に優れた魚が「真鯛(マダイ)」として区別され、価値を高めていった。
一方、セリオラ属の魚類も、当初はすべて「鰤(ブリ)」として扱われていたと考えられる。 魚屋がその中から味に優れた個体を見出し、当初は「平鰤(ひらぶり)」、やがて「政鰤(まさぶり)」と呼び分けたことが、 後に「平政(ひらまさ)」という名へと収斂していったという説がある。 この名称の成立には、魚市場における価値付けと、日本語の言葉遊び的な文化が色濃く反映されている。
ヒラマサは1種か、複数系統か
セリオラ属と人類の学術的な関係が始まってから約200年、 ブリ(S. quinqueradiata)やカンパチ(S. dumerili)は養殖技術の発展とともに人間社会に深く組み込まれてきた。 一方で、ヒラマサ(S. lalandi)とヒレナガカンパチ(S. rivoliana)は、依然として野生性の強い魚として知られている。
近年、分子系統解析(DNA解析)によって、Seriola lalandi が単一の集団ではなく、 地理的に分化した複数の系統を持つ可能性が示唆されるようになった。 本稿では、便宜的に、以下の3系統として整理する。
南半球系(仮称:ラランディ・オセアニカ)
太平洋南部、オーストラリアおよびニュージーランド周辺に分布する系統。 体格が大きく、王者の風格を備えた個体が多く、現地の漁師やアングラーからは “Kingfish” と呼ばれて敬意をもって扱われている。 過去には45kg、50kgを超える超大型個体の報告が集中しており、Seriola lalandi の巨大化の上限を示す系統と考えられている。
東太平洋系(仮称:ラランディ・パシフィカ)
アメリカ西海岸からメキシコ沿岸にかけて分布する系統。 流線形の体型を持ち、広範囲を回遊する能力に優れ、現地では “Speed demon” など、スピードを象徴する呼称で語られることが多い。 走行距離の長さと初動の速さにおいて、他地域とは異なる性質を示す。
北西太平洋系(仮称:ラランディ・ジャポニカ)
日本列島を中心に分布する系統。 表層で獲物を捕食し、ヒット後にはそれを海底の根へ一気に引きずり込む行動特性から、 日本の釣り文化においては「海のスプリンター」と表現されてきた。 地形への依存度が高く、判断力と瞬発力を兼ね備えた“技巧派”の性質が際立つ。
地域差は、なぜ生まれるのか
これらの系統差は、単なる個体差ではなく、長期的な地理的隔離、餌生物の違い、回遊距離、水温帯などの環境要因によって形成された可能性がある。
たとえば、日本のアングラーが、外房でエビやカニの幼生を大量に吸い込む個体と、玄界灘でシイラを捕食し丸呑みする個体のあいだに、 体型やファイトの質の違いを感じるのは自然なことである。 韓国・済州島をはじめとする大陸側の個体群では、すでに外見的な差異も指摘されつつあり、 地域ごとの遺伝的分化が進行している可能性が考えられる。
玄界灘のヒラマサが示すポテンシャル
近年、北西太平洋系(ラランディ・ジャポニカ)において、35kg超、40kg超といった大型個体の捕獲報告が増加している。 これは、過去に45kg、50kg超の報告が集中している南半球系(ラランディ・オセアニカ)に迫るポテンシャルを示す兆候と見ることもできる。
玄界灘というフィールドは、潮流、地形、餌資源の豊富さが複合的に作用する特異な海域であり、 北西太平洋系ヒラマサの中でも、とりわけ大型化しやすい条件が揃っている可能性がある。 より実践的なフィールド構造については、玄界灘フィールドノートも参照されたい。
結語:本稿は仮説的整理である
本稿で提示した「3系統仮説」は、現時点での分子系統研究、文化史、そして釣り人としての現場知見を横断して整理したものであり、 正式な分類学上の確定事項ではない。 しかし、地域ごとに異なるヒラマサの性質を理解するための思考モデルとしては、一定の有効性を持つと考えている。
ヒラマサという魚は、単なる「強い魚」ではなく、海域ごとの環境が生み出した多様性の結晶である。 その多様性を理解することは、釣りという行為を超えて、海と生物の関係を深く知ることにつながるだろう。
事実と仮説の区別について
本稿に含まれる分子系統研究や学名・分類に関する記述は、一般に共有されている研究知見にもとづくものである。 一方、「3系統仮説」「地域差の解釈」「各系統の性質づけ」は、筆者の現場観察・釣行経験を踏まえた仮説的整理であり、 生物学的な正式分類の代替を意図するものではない。 本稿は、玄界灘を中心とする実践において、理解の再現性を高めるための思考モデルとして提示している。
【更新履歴】
2026年1月6日:初稿公開